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2006年 06月 06日
しばらく離れていたこの感覚に触れる。こうなるとあとは惰性でもどうにかなる。
……ラジオの企画はまだその段階まで到達してませんけれども。 これは多分一般論ではないと思うので読んでいる方に参考になるかどうかは分からないですけれども、一応書いておくことにする。何かしら一つの仕事、作業に取り掛かった際、まず初期段階においては僕は相当悩みます。悩みまくります。自己嫌悪に浸って追い詰められまくります。この際ちょっかいを出すと毒ガスが漏れ出します。噴出します。アメフラシとか想像するとリアルでよろしい。僕にとってこれはアイディアの熟成期間。この時期にどれだけ悩んだか、どれだけ煮詰めたかがポイント。 この段階を経て(こんな腐ってる状況長くても一ヶ月くらいだから、と軽く考えることも必要かと)ある時、ハッ、と『なんとかなりそうな予感』に触れたらそこからあとはもう作業です。その先は作業を行うぞというちょっとした意識と大幅な無意識に任せて手を動かす。この際半笑いを浮かべていると少なからず僕に近い人間と言えるでしょう。残念ですね。 僕にとって何かに夢中になるのは作業になってからなのかもしれません。最初の一歩を踏み出すまでは絶対的にキツイ。思案し、想像を巡らせ、この道がどこまで続いているか、また僕の足でどこまで行けるかを見極める。この悪夢の期間でどれだけキツイ気分に浸れたかでこの後の勢いが変わってくるのです。 ところでその夢中になっている作業とやらが楽しいかと問われると、案外そうでもない。楽なのは確かなんだけれど、悩んでいた頃の、追い詰められていた頃の感覚の方が楽しかったりもする。この辺りをぼやかさないで書くと、夢中になって作業している時の僕は僕じゃない誰かだと思う。思考している時の、どうにもグチュグチュ悩んでいる時の僕はどうしようもないほど単なる僕なので、僕はどうもそれを見るのが楽しいのかもしれない。情けない自分が意外と気に入っているらしい。 どMですか。そうですか。 一つ仕事が作業に移れば思考は次のことへと進む、という状態を今後は保とうかと思う。こうすると一年中情緒不安定気味になるわけだがまぁ、それも楽しいかもしれない。 よって次の思考はラジオ放送原稿である。 さあ今日もクヨクヨ悩むぞ。ドチクショウ。
by sirokuro-radio
| 2006-06-06 16:58
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