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2006年 07月 01日
サッカー日本代表FWの鈴木隆之選手曰く、
「前に進めないときは横に進む!」 とまあ男らしいことを言っていらしたのを以前どこかで目にしたことがある。 基本的にやる気というものは降ってくるものでもないし、湧き立つものでもない。やらなければならないものはやるしかないし、やり続けているうちにやる気になってくるものである。やる気がないならやる気が出てくるまでやれ、とまあこれがおそらく真理。 楽しい事だって長続きはしない。ほとんどのことは面倒くさいだけなのだ。残念ながら。 押してばかりではダメだ、という状態に気付くのはもう本当に押し切れなくなってそれからである筈だし、引いてばかりでもダメ、なんてのは言うまでもなく当然の話である。でもまあ、やるしかないのでやるのである。 つまりまあ、毎日暑くてイヤ~ね、という話。 というわけで原稿を公開する。助教授さんがどこにどう手を入れるおつもりなのか、非常に楽しみだ。今月五日に収録が行われるらしく、僕も連れて行って貰えそうなのでついていってみる。FMさいたまさん、こんな僕です雇ってください。 ############### ブロッコリー大学理学部分子生物学科は、二〇〇六年七月今日現在、たくさんの誤解に晒され、その結果、様々な偏見の中にある事をこの場を借りて表明します。 残念ながら、確かに当学科に在籍する人間には概ね世間ズレ傾向が見られ、そのほとんどが一般にキモイと言われても差し支えの無い程度に純情で、さらにそのうちの一部はあからさまに真っ当なコミュニケーション能力を欠いており、所謂立派な大人と呼ばれるような人間は実に稀に見る存在だと言っても過言ではないという、非常にファニーなソフト環境を有しており、これらは我々にある種の近寄り難さを形成し、またこの近寄り難さが育くむ極端なその生育環境は、傍から見る者に、自分はマトモなんだという実感と生きていく希望を与えてくれるという、そのような世界に優しい一面を有していることは我々も認めようと思います。 確かに我々の活動は、一般から見ると非常に変わったものであると言わざるを得ません。しかし我々にも意地があります。我々にも些細ながらも……プラ、プラ……。何だっけこれ?……ああ、プライドがあります。遍く誤解を解く為、公共放送という世界にアピールできるこのような機会を我々に用意してくれた事を強く感謝します。 さて。我々分子生物学科は理学部です。この理学という単語は実にクセモノで、結果としてこの学問分野が一体何をしているのかが非常に分かりにくくなっている点が暗いだのキモイだの影で何しているのか分からないなどという多数の偏見を呼ぶ理由であると我々は考えます。 我々の専攻する理学は、農学ではなく、医学でもなく、ましてや薬学ではなく、当然工学でもなく、文学でも経済学でも哲学でも心理学でもありません。 我々を農学、医学、薬学と同一視している方が世の中には多数いらっしゃるようですが、これは全くの間違いです。これぞまさに偏見であり、我々はこの点を厳しく追及します。 農学、医学、薬学は、実際に利用することを前提にした学問です。農学は主に食料生産、医学、薬学には病気を治そうといった明確な目的、意図する点があり、つまり、これらは世間に役に立つ為の学問なのであります。しかし、我々理学は違います。断じて違います。我々理学は研究結果を実際に使うかどうかなどという点を考慮しません。つまり。我々の研究は時々世間の役に立ちません。 オイオイなんだよそれ、そんなもん全然ダメじゃねえか。と考える方には本当に申し訳ありませんが、理学とはそういう分野であります。これは要するに、子供のときのことを思い出してください。例えばカエルの卵を見て、おたまじゃくしからカエルに変態していく姿を見て、また気持ち悪い毛虫が美しい蝶に化けていく姿を見て。あれ、これ不思議だな?と思った事はありませんか? そういった疑問を、いい歳こいて真剣に、一体どうなっているのかを理科的知識を総動員してお金をつぎ込んで調べてみるという行為が理学なのです。 さて次に。我々は理学部であり、その中でも生物学を専攻する集団で、とりわけ分子生物学科と呼ばれる集団です。 そこでまたクセモノなのがこの分子生物という言葉であり、分子生物とは何のことだ、という未知への恐れが我々と世間を大きく隔てて、あの人たち何考えてるんだかわからない、と指摘される原因の一つである、と我々は考えます。 しかし、残念ながら、我々の専攻する分子生物学について図解も無しに言葉だけで説明をするのは現実的では無いので、この点においては世間からの歩み寄りを期待し、特にインターネットで分子生物学と検索していただければこの点は満点であるとして、この学科では具体的にどのようなことを学ぶことになるのか、という点について言及します。 例えばガン細胞について考えましょう。ガン、と聞いて、大変だ、取り除こうと考える方は医学部へどうぞ。クスリで治せないか、と考える方は薬学部をお勧めします。ガン細胞は普通の細胞と何がどう違うのかな?と考える方には分子生物学がその答えの一部を用意できます。 例えば大腸菌について考えましょう。大腸菌、と聞いて、殺菌しなきゃ、と考える方は薬学部へどうぞ。生物には興味があるがそんな小さな世界に興味は無い、と考える方は医学部へ行きましょう。大腸菌はどんな生き物で、どうやって増えているのかな?と考える方にはやはり分子生物学がある程度の答えを提供します。 また世間でよく言われるクローン技術、遺伝子組み換え、といった技術はまさに分子生物学により生み出された技術であり、我々はそれらについて具体的に学び、またこれらの技術をふんだんに用いて、様々な世の中の役に立たないかもしれない研究を行います。 さて、これが我々の行っている活動ですが、全く。結局お前たち何だかよく分からないし、何の役に立つんだよ、と思われた方がいらっしゃいましたらお言葉ですがこちらは次の言葉をお返しします。あなたは何の役に立ちますか? あれ、これ不思議だな?と思った事をいい歳こいて真剣に、一体どうなっているのか今まで得た知識を総動員してお金をつぎ込んで調べてみるという行為が我々の行う研究であり、またその結果が理学という学問です。 特にその興味を持った内容が生物で、中でも、命って何だろう、生物の身体って何でこんな風に出来ているんだろう。そもそも生物ってどうやってできているんだろう。そのように思ったことのある方、また未だにそれが気になってメシも喉を通らないという極めて奇特な方にうってつけなのが我々の行っている分子生物学です。 基本的に変人が集まっている場所なんだなとご理解いただけるとまたしても偏見が増えて、不幸中の幸いの極みです。 尚、実際の例として我々の学科には、ジャガイモを改造し、蒸かすだけでジャガバター味になって美味しくいただけるようなスペシャルなジャガイモを作り出せないか『という方向に発展する可能性を秘めた』研究を非常に熱心にしている方がいらっしゃいます。既に二十代後半のこの方が世界の役に立つかどうかは残念ながら確かにとても微妙です。 さて、そういったわけでブロッコリー大学理学部分子生物学科は、生物、生命、それらが作られる仕組みをDNAという側面、分子生物学という方面から研究できる場所であります。そのスガタカタチは傍から見れば非生産的であり、子供染みていると指摘されても仕方の無い世界でありますが、そんな世界の中で我々は、子供の心を忘れないまま同志を待っております。何かが知りたい、何かを見つけたい、歴史に名を残したいといった強い野望を持つ方に限っては力強くお勧め出来る逸品となっております。 ############### 一応補足しておく。僕は理学部が好きだし、分子生物学科が好きです。 なんでこんなことを書くかといえば、医学部、薬学部を志望して、落ちて、何も知らずに理学部に入ってくる、柔らかいアタマを持った連中が毎年必ずいて(十人単位で)、彼らが困っている姿が必ず見受けられるからです。 この学科、理学部は、基本的には『場所』『ツール』としての機能を有しているだけで、それらを使って何をするか、というのはユーザーである生徒に大きく委ねられているんですね。学ぶだけで社会の役に立つことなんてのは無いのですが(そういったように医学や薬学を勘違いしている連中が多すぎる)そういった連中は面食らうんですよ。分子生物学を学ぶ理由を見失ってしまう。知りたいという欲求からなるのがこの学科だということを知らないからです。彼らは『社会の役に立ちたい』という目的が先走りすぎているから、分子生物学を学ぶ理由を見出せないわけです。 それでも世界は『社会の役に立ちたい』という意思を尊重して、『知りたい』という個人的欲求をそれ以下のものと看做すから、理学部はアピールが出来ない。現に同大学のホームページを覗くと「社会の役に立つ」という言葉を前面に押し出す広告を打ち出しているわけなのですよ。大して役に立たないって一番分かっているはずなのに。 役に立つかどうかは別件であって、知りたいから調べているだけであって、でもその結果が何かに結びつく可能性は当然ゼロではない→つまり社会の役に立つ。 そう言ってくれちゃっているわけです。 売るべき点はそこではない。 知りたいという欲求はそれほど間抜けなんでしょうか? オトナとして求められることは社会の役に立つこと、であって、コドモとして求められることはオトナになること、という現代の状態を必ずしも良しとは思えない僕の理学部論なのです。いかがか。
by sirokuro-radio
| 2006-07-01 14:25
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