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2006年 07月 26日
いろいろと八方手を尽くしたらOSをクリーンインストールしろという理系的なアイディアを採用。採用してHDDの乗せ換えとか余計なことをしたところCPUファンを固定するツメが折れるという大惨事を引き起こす。しかもキューブ。それも説明すると長くなるがマザーボードを同じそれを利用しないといくつかの機能が使えなくなってしまうという……早い話がコレ……ううむ。どうしたものか。
今は固定せずそのまま使っている。ファンがよく回る。その騒音は半端じゃない。ワルだぜ。 で今日は技術の話。 技術というものは汎用性を持たせるために作られた理論、理屈、ノウハウである。 何が言いたいかというと、技術は絶対ではないということだ。違うな。違うぞ。こんな話じゃない。 ある<カタチ>を作りたいとする時にそのカタチを作るのに必要なのは技術。 ところがその作りたい<カタチ>がなければ技術は必要ではない。 だから目的のない技術ってのは根本的には無意味ということになる。 以上を三段論法。 何か作りたい<カタチ>があるからこそ、人は技術を身につけていくのだと思うのだが、この欲求を持つ人間はあまりいない。この<カタチ>を持つ人間だけが目的意識を持って技術を身につけていくのだろう、か? <カタチ>というものは果て何ぞや。 これが<デザイン>だったりするのではないかという話だ。 ある<デザイン>を作る(実現する)為に手に入れるべきなのが技術。技術は一般化されるので手に入れることはそう難しい話ではない。しかしデザインは一般化されない。そしていつどのようなタイミングでその<デザイン>とやらに出会うかはわからないわけだ。 <デザイン>が手に入ったら次に必要なのがデッサン力。 デッサン力以降は皆技術の問題。 だからもし、その<デザイン>にぶち当たったら、それはきっとチャンスなんだと思う。多分その<デザイン>は大きければ大きいほど下層のものだから基盤そのものを揺るがすことになって(この辺の理屈はわかる人はわかるだろう)上部は大きく揺さぶられることになるから困るんだろうな。うん。 でまあ結論へ。 自分がどこまでできるのか、という点については、それはおそらく技術の問題ではないと思う。ぶち当たった<デザイン>が問題であって、その<デザイン>が必要とするバランスにどこまで自分が付き合えるかということであって……。 思考をトレースする文章はこんな感じにしかならないのだけれど、こういうことを繰り返した一週間でした。 とりあえず、出会った<デザイン>を大事にすることではないかと思うのです。 #
by sirokuro-radio
| 2006-07-26 23:15
2006年 07月 18日
煮詰まって焦げた、が正解だと思うな、僕は。
……で、焦げ付きました。今ガビガビ。 こういうときはやはり気分転換を図るべき!そう思って外を見れば雨。大雨。 おかげで真昼に更新です。バイクに乗れないのが痛い。 だからもうこんな日はたいしたこと書けないんですよね。 テレビつければ畠山さん。図ったような作ったような展開を見せる畠山さん。真実かどうかは別として、常軌を逸した子育てだとか、そんな言葉スピーカから垂れ流されて正義面されてもね、愚かな女だ、とか言われてもね。 ため息しか出ないやね。 まあしょうがないんですけど。TVショー。 あれが真実だとすれば、彼女も焦げ付いていたんでしょうね。 ……おっと湿っぽくなっちまったい。 こういうときはゆっくりするしかないのだ。 空を見上げれ、雨はいつか止む。 ……きっと止む。 #
by sirokuro-radio
| 2006-07-18 12:57
2006年 07月 13日
と意識しないとなかなか切り替わらないくらいまでに気分が一方通行になった辺りから気分転換とやらを考え始めるべきではないかと提案する。
気分転換という行為の主目的は目線を一度そこから離すことにあるわけだが、その向こう側に隠された目的は『そうすることによって新たな視点を確保、またそこから新たなアイディアを手に入れることによって本来の仕事の山を乗り越える』というところにあり、結局そのために行ってみるわけであってこれは非常にオトナ的で汚い行いだと言えると思うよ。 一番の気分転換は何も考えないことに尽きるわけだが、これは何故か時間を浪費するだけの行為に思えて悪い感じ。貧乏人的発想ではこの行為は許されない行為なのだ。ブルジョワ的になって初めて『何もしないし何も考えないし』という非生産行為が許されるのである。『何もしないし何も考えないし』という状況それにさえ我慢できぬ人間もいたりする。 で、それがここに一人いたりする。困る。ともあれ気分を切り替えるために更新をした。ところが困ったことにこんなに無意味なことをしておいて切り替わった気がしない。バイクにでも乗りたいが、バッテリが上がったまま半年放置してある彼に触っても不幸だけが待ち受けている気がする。部屋の片付けもしたいが、片付かないことは明白だ。料理でもしたいが、台所を綺麗にしないとそんな気分にもなれないだろう。ゲームでもしたいが、コントローラの調子が悪くてストレスが溜まる。 やらなきゃならんことばかりで、気分が切り替わらない。 #
by sirokuro-radio
| 2006-07-13 00:58
2006年 07月 10日
「決議『案』提出」とか、「ギリギリ⇔交渉」とか、「大量⇔破壊⇔兵器」とか。
こういう紛らわしい言葉に惑わされるとニュースが面白くなるんだと思います。地方へのミサイル発射実施の情報の伝達が遅れた、とか、小泉首相がいついつに官邸入りした、とか、国民が知りたがっているのだ、という理由でこのような報道を行っていることは想像に難くない、が、そろそろ変わってきてもいいのではないかと思ったりします。 正直に言うと興味の無いニュースな話はこの辺にしておこう。 それよりも、少し離れる話。 新聞を読む、ニュースを見る。これらは推奨されるべきこととされているような雰囲気を感じることがあります。ニュース番組はバラエティ番組を見ることよりは少なからず推奨されているようだし、新聞は読まねばならない、みたいな。共通理解というものを国家が求めているだとか大衆が無意識的に望んでいるのだとか、そんな話になると僕の考えとはずれるわけで、もう少し手元足元を見た話。 僕は堀江氏や村上氏が叩かれる理由さえマトモなものに見えない人間ですから(彼らは若者に必要な人々だと思っています)尚更なのだと思いますが、ニュースに高尚さなんて感じないし、新聞が正しい理由とやらもよく分からないし、テレビに多くを求めたりもしません。マスメディアと2chがどれほど違うものなのかもよく分かりません。 結局、飛び込んで来る情報ってのはショーに過ぎないと思ってしまいます。悪いこと、正しいことなんてどこにも無いんだぜ、ってな20世紀ロックンロールな感じですよ。 整形手術なんてしたければすればいいじゃないですか。お金があるんなら。 ぶりっ子だっていいじゃないですか。一匹狼気取った自分をどれだけ惨めにするんですか? ニートだって放っておけばいいじゃないですか。放っておいたってなんとかなる経済状態出来たでしょ。いじめだって起こらないわけが無いじゃないですか。みんなその立場から逃げ回ってるだけなんだから。小学校中学校なんてどうだっていいじゃないですか。足し算が出来て引き算が出来て掛け算が出来ればなんとかなるし、第一、高校大学に行く理由も必要ももう無いって誰もが薄々気づいてるじゃないですか。遊びに行くだけでしょ? 嘘で塗り固めて恥まで忘れて後、この世の中に何残ってるのよってな話になるとまた危ない論調になりそうなのでここでUターン。 どんだけ自分のこと棚上げして世界に錯覚してるのかってなことですよ。 自分に出来ること、すべきことは他にたくさんあるんじゃないんですか? 少なくとも遠い空の下にぼんやりとした思いを馳せているよりは明日の自分を少しでも良くしようと努力することの方が懸命だし、理に叶ってるし、それは美しいって言いませんか?と、テレビや新聞を娯楽と思う僕は思うわけです。 中年の万引き率の増加、自殺率の増加、若者の犯罪率の低下、しかしながら就業率の低下。そこに台頭してきた派遣業。弱者総使い捨て時代。国民総アルバイト時代。世の中間違ってる、なんて言うのは簡単ですよ。でもその世の中を切り抜けなきゃ行けないのが僕らの世代なんですよ?そしてなんとかしなきゃならない僕らですよ。 真剣に、本気で、今から十年後の未来を予想してみてください。 多分、それ、自分です。 #
by sirokuro-radio
| 2006-07-10 23:11
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