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2006年 06月 22日
色々ありまして不機嫌な僕。今日二時間ほどかけて第一次案、仮タイトル『てめえらとはもうこれっきりだ!』を書き上げたので公開してみる。
個人的には悪くないと思っているのだが。この程度のユーモアも解せないほど日本はくたばっちゃいないと信じている僕が一番腐っている可能性は高い。 ################# ブロッコリー大学理学部分子生物学科は、二〇〇六年七月現在、たくさんの問題を抱えている事をこの場を借りてまず表明します。 まず、当学科に在籍する人間は概ね世間ズレ傾向が著しく、キモイほどに純情で、そのほとんどが残念な程度にコミュニケーション能力を欠いており、そんな我々の辞書からは社会性という言葉は念入りに抹消され、世間からの、あの人いい歳して昼間ブラブラしてるけど働いてるのかしら、もしかしてあの噂の流行のニートなのかしら、という白いイタイ目に晒されることにもすっかり慣れてしまっていて、そんな中に地域社会に積極的に関わろうとする人間など当然いるはずもなく、つまり、本来、我々理学部分子生物学科はこのような公共電波を利用した学科紹介など行われるはずもない土壌であることを前提としてお付き合いください。 さて。皆さん学校は好きですか?勉強は好きですか? 学校が嫌い、でも大学に行く、という姿勢はなかなか、男気溢れる姿勢ですね。個人的な所見として、大学は、勉強は嫌いでも学問を好む人間には住みよい場所だと言えます。 最近僕はよく、大人よりも子供の方が大変なんだなあと思います。皆さん、小学生の頃を思い出してください。やりたいことはやれなくて、足並みをそろえる事を煩く強要されて、宿題は山ほど出て、気に入らないからといって辞めるわけにもいかず、そのくせお酒も飲めないし、タバコも吸えません。エロ本一冊買うことも社会的には許されません。 お母さんはそんな僕らに勉強をしなさいと言いますが、お母さんは勉強をする生物ではないようです。三度のメシよりムダメシが好きな僕のお母さんはソファーの上で寝転がり、ぶくぶく太っていくばかりです。アレは多分第三次成長期なのでしょう。成長方向は横方向の伸長で、我々はこのような成長を特に肥大成長と呼んでいます。第三次成長を迎えたお母さんの生活は非常にシンプルです。日がな一日ソファーの上でごろごろしてテレビを見ています。そしてたまにジムに汗を流しに行きます。ぼんやりとした毎日を過ごしつつもここ最近はどうやら脳年齢が気になっている様子が観察されています。 そんな大人になる自由も一定量与えられている僕たち勉強する生物である所の子供たちなワケですが、その中には大学進学を目論んでいらっしゃる方もいるようです。が、この際幾つか注意点があります。 一つ。学校に期待をしてはいけない。 一つ。大人に期待をしてはいけない。 一つ。我々に期待をしてはいけない。 以上はPL法に対応する為のこちら側からの積極的な配慮です。 まず、我々分子生物学科は理学部です。理学とは医学ではなく、ましてや薬学ではなく、当然工学でもなく、文学でも経済学でも哲学でも心理学でもありません。理学は基礎研究という活動が主です。従って我々は、実施を前提とする医学部、薬学部、農学部とは一線を画すものである、と理解してください。 そんな我々の研究対象は生物、またその命、生命です。 我々は生命を物質的な側面からアプローチする集団の一部です。その方法が一般に分子生物学と呼ばれる研究手法であることから、我々には分子生物学科という名前が付けられています。 尚、我々の行っている研究は極めて地味であります。そこには世界平和もなければ人類の永続的な繁栄を望んでいるわけでもなく、病気を治そうという医学、薬学的な目標もなく、お金になるかと問われれば決してそればかりを目指しているワケでもないと答えるしかない、という、存在意義からして社会性は危うい集団です。まあそれでも世界最先端の一部にいるのは事実です。世の中の価値とは斯様にも複雑なものなのです。 分子生物学について図解も無しに言葉だけで説明をするのは現実的では無いので、インターネットで分子生物学と検索していただければこの点は満点であるとして、この学科に来ると何を学べるのか、また何を学ぶことになるのかという点について考察します。 分子生物学科に来ることによって、そもそも大学に、特に理学部に入学することによって得られることは、非常に懐かしい価値観との出会い、再会であると考えられます。この点だけはまだ期待をしてもいい点だと思います。それでも大学入学という行為、結果によって受動的に得られるのはその出会いだけだと言えるかもしれません。 オイオイそれだけかよ、そんなもん求めちゃいねえよ。と思われた方には本当に申し訳ありませんが、研究、学問というのは極めて子供的な性質を持つものです。それを行う我々に強いられるのは探究心に基づく勉強のみです。知りたいという欲求、分からない、という知的に裏付けられた叫び、我々は研究という反社会的行為を通じて何を学ぶか、そこに学びがあるという、まあ、これは要するに、子供のとき、特に小学生時代以前に戻って、あれ、これ不思議だな?と思った事をいい歳こいて真剣に、一体どうなっているのか今まで得た知識を総動員してお金をつぎ込んで調べてみるという行為が研究であり、またその結果が学問なのです。そういうことを行えるのが大学という場所なのです。 特にその興味を持った内容が生物で、中でも、命って何だろう、生物の身体って何でこんな風に出来ているんだろう。そのように思ったことのある方、また未だにそれが気になってメシも喉を通らないという極めて奇特な方にうってつけなのが我々の行っている生物学です。 基本的に変人が集まっている場所なんだなとご理解いただけると不幸中の幸いです。 さて、そういったわけでブロッコリー大学理学部分子生物学科は、生物、生命、それらが作られる仕組みをDNAという側面、分子生物学という方面から研究できる場所であります。そのスガタカタチは傍から見れば非生産的であり、子供染みていると指摘されても仕方の無い世界でありますが、そんな世界の中で我々は、子供の心を忘れないまま同志を待っております。何かを見つけたい、歴史に名を残したいといった強い野望を持つ方、社会貢献とは何ぞや?と疑問を抱く方、またマッドサイエンティスト志望な方に限っては力強くお勧め出来る逸品となっております。 研究室の雰囲気等が味わいたい場合には、小説『パラサイト・イヴ』がなかなかお勧めです。受験勉強の片手間に研究室気分はいかがでしょうか? ################# 感想頂けたら感謝する。 つくづく文字の人間の為、音でこの情報を流されて理解が届くかどうかという点で検分しきれていない自分を強く感じる。 #
by sirokuro-radio
| 2006-06-22 02:08
2006年 06月 20日
現在埼玉在住の僕ですが籍は地元神奈川に置いたままであります。
これって実家を出て一人暮らしする大学生の概ねが採用するテクニックかと思われますが、合法的なことなのかどうかちょっと疑問。別に非合法だったとしても問題は起こらなさそうだけれども。 それでもさすがに非合法な恐れのあるこの行為、結果的に少々の不便も発生します。あらゆる責任あるお年頃のオトナに課される手続きが(年金だとか国民保険料だとか)実家住所の方に届くため、世間のキマリに疎くなることもしばしば。また僕個人の問題としてはやはりバイクの保険などそういった手続きも実家の方へと送られてしまうという手間が発生してしまうのです。 で、免許の更新も地元へ行かなきゃならなかったわけで。 初回更新の今回、僕はこの資格全盛のイマドキ時代にも二輪中型免許しか持たぬヘナチョコ野郎なので、世間を賑わす四輪ブルジョワ者を冷ややかな目線で見ていたりはしないんですけれど、基本的に免許講習は四輪対応で行われているじゃないですか。事故、と言えば酔っ払い四輪→突っ込み事故みたいな。二輪だと大抵一人自爆ということになるわけで潔く死ねる(単独事故経験者はかく語りき)。 それで今回も飲酒運転の危険性を大いに語らんとするVTRを警察署構内で見てきたんですけれど、ええ。これがまた傑作で。里見幸太郎を起用したVTRといえば分かる方もいるかと思うのですが、いやー、あれ幾らかけて作ってるんだろうなあ。 いいたいことは良く分かるんですけれどね、飲酒運転は危ないよね、それは分かるんですけれど、VTR全体に漂うのは素材の味を感じさせるコメディ風味で、善良なパパがシゴトで無理してお酒飲んだまま人身事故起こして逃走→自己嫌悪・反省→自首→賠償金でマイホームは差し押さえられ家族は四畳半アパートへ→子供グレ(男:珍妙ヘア、女:パパの写真切り裂きジャック)→奥様ご乱心(線路へ飛び込み自殺)とまあ滑落。被害者は下半身不随。 いや、ほら、そういう問題じゃないのは分かるけど、保険とかさ。会社の責任とかさ。加速度的に演出される善良なパパの突然の危機に開いた口が塞がらんと言うか、正直序盤以降は笑いながら見ていた僕。 笑ってみてるんじゃないっ!って真剣に警察官に説教されたら面白いなあとか思いつつ、まああれで反省とやらが促せたのなら日本は平和だよなあ。などと思ったとか、思わなかったとか。 #
by sirokuro-radio
| 2006-06-20 22:10
2006年 06月 13日
そして盛り上がれない僕。試合後にまず負けたことを確認に向かう無粋なインタビュアーの姿。日本各地に集まったサポーターの群。その落胆ぶり。
何故彼らはそんなに、それこそまるで我が事のように悔しがったり喜んだり出来るのだろうか。 で、何で僕はそこまで盛り上がれないのだろうか。 隣の大騒ぎが午前四時を回るまで続いたので(結果は変わらん。帰れ。さっさと)布団の中でしばらく考えてみた。 するとどうやら、僕は日本チームのことを日本の代表というより日本の選抜チームだと考えているらしい、ということがその要因ではないかと思い当たった。 『日本代表』という言葉はすごい言葉だ。日本の代表である。日本代表はまさに日本を代表するわけで、つまり彼らこそが日本なのだ。彼らの戦いぶりはまさに日本の戦いぶりであり、日本代表対オーストラリア代表はまさに日本VSオーストラリアなわけである。 なるほどそれなら皆がそれほど必死になって応援する理由も分からないでもない。だから勢い余って生卵ぶつけちゃったりするわけだ。 僕個人としては日本で選抜されてきた一流選手たちが各国で選抜されてきた一流選手たちと戦うというステージとしてのワールドカップに興味があるので、スーパーなプレーが出ればそれでいいと思うし、日本が負けても「まあ次頑張ってヨ」と軽く思ってしまうのである(野球で言えばオールスター戦を見ているようなものだと思っているのだ)。 結局僕はあくまで個人ありき、で試合を見ている為、全体ありき、団体ありき、日本頑張れ、で見ている方と温度差が出来てしまうのかなあと思ったわけだ。 あーなるほどなあ、そう思ったとき、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本代表の結果に我が事のように一喜一憂していた自分を思い出してすごく反省しました。どうやら野球が好きでサッカーがそれほど好きでないのが原因かと思われました。残念。 でもみんなで公民館だスタジアムだに集まってワイワイ応援して見るっていうのは、応援ありきで観戦したいわけではないのかなあと思ってしまったりする。ちなみに日本の野球の応援もそういうところがあるので、好きではない。家でテレビでじっくり見たいタイプだ。 ※コンテンツの楽しみ方は自由であり、それぞれが最も楽しめる形で消費すればいいのであり、今回の更新は隣がうるさくて寝られなかったこと、試合に集中できなかったこと等から生まれた僕の八つ当たりが更新の理由の半分以上を占めていることもここで明らかにしておこう。そして頑張れニッポン。やるからには勝ってもらいたい気持ちはもちろん僕にもある。 #
by sirokuro-radio
| 2006-06-13 06:14
2006年 06月 11日
こんな気分の日に。鮮やかな倒置法を披露。拍手。
こういう時は披露する為の文章を書いて心地よい疲労に浸るのだ。鮮やかな駄洒落を披露し疲労。被せた次第。 さてこのようなテクニックを業界用語では天丼と呼びますが、そこを膨らませても結局伸びないので止め。 韻を踏むという(以下略)。 こういう気分の日は下らない話に殺意を覚えます。自分で書いているのに。 先日大学の同期生の女の子からメールが届きました(大げさな言い方だ)。 メールに内容を求める方が酷なのでその文章から伝わってきたものを僕なりに彼女の性質に照らし合わせて理解すると、『孤独は辛いのに、一人で居たい』という、アレアレ?なんとも現代チックなお悩みの様子。ユング心理学的に分析するとオーディンが暴れてるんですか?と機知に富んだツッコミ(嫌味)入れてやろうかと思ったけれどそこはごまかして箱庭療法のススメを出しておきました。当然、遠まわしに。 あ、あと、アイジョウに飢えているとそのメイルには書かれてオリマシタ。 僕に愛情求めんなヨ☆この社会不適応者が☆ きゅるるーん☆ みたいなぶっ飛んだ態度をとったりしちゃいけないよ。友達無くすからね。 さて、個人の基本的な資質っていうのがどのように形成され得るのかは僕にはまだちょっと分からないですけれど、そういうのを分析する上で巷に溢れている占いを利用するのは便利です。(が、些か疑問も感じます。生まれやなんのかんので運命が決まるっていうのは乱暴ですよ) 意外と占いって当たっていたりする。でもこの場合結果には基本的に無難なことが書いてあるので占われた側が都合よく解釈して結果当たっているって面も否定は出来ませんけれどね。 それでもまあ当たっていたとして、それがあんまり望まぬものであったときどうすっかという話。 彼女の場合も自分の資質は大分掴めているご様子で、そういう面では心配は無いのだけれど、結局そこで止まっているご様子なのです。 自分の欠点を理解するのに、どのようなものであれ分析という行為は便利です。 でも大事なのは分析することではなくて、分析した後どうするか、ということだと思うのですけれど、意外とそれって忘れがちだなあっていうお話。 大体の場合、そこで開き直っても無駄なんですヨ。 とりあえずこの場を借りて彼女に頑張れと祈っておくことにする。 #
by sirokuro-radio
| 2006-06-11 23:56
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